歴史と製造方法について
現在の徳島県にあたる阿波で砂糖が作られ始めたのは安永5年(1776年)だと伝えられています。阿賛山脈南側(徳島県側北部)は水はけが良く稲作には適さない土地だったため、代わりとなる作物としてサトウキビに目が付けられました。同じように米作りがしづらい九州からサトウキビの苗と製造方法を持ち帰ったことで徳島の砂糖づくりが始まりました。
和三盆は通常のサトウキビとは異なる「竹糖(ちくとう)」と呼ばれる品種が使用されます。和三盆を作る工程は、まず竹糖を砕いて絞ることから始まります。その後、煮詰めてアクを取り省き、再度炊き上げて砂糖を結晶化させます。この段階を白下糖と呼び、まだ蜜が含まれているため茶色をしています。白みがかった上質な和三盆にするためには蜜を取り除く必要があるため、まず重しを載せて絞り、その後、職人の手で白下糖を揉んで滑らかにする「研ぎ」と呼ばれる作業を行います。和三盆の名前の由来は、この研ぎの作業を3回行っていたからだと考えられています。研ぎが終わるとふるいにかけ、乾燥することで和三盆が出来上がります。
なお、今回紹介する霰糖は、最後のふるいにかける段階で中に残った砂糖の塊を乾燥させた商品になります。手作業で和三盆をつくる工場でしか取れない珍しいお菓子で、蜜を多く含んだ豊かな風味が特徴です。
材料と味について
和三盆は比較的背丈が低く竹のように細い「竹糖」と呼ばれる品種のサトウキビからつくられます。この竹糖は徳島と香川の一部でしか栽培されていない非常に希少な砂糖として知られています。和三盆を食べると、普通の砂糖とは異なる上品な甘みとやさしい口溶けを感じることができます。今回紹介するする霰糖は一見すると少し堅そうな印象を受けますが、口の中に入れるとほろりと一瞬で溶けてしまいます。
岡田製陶所の基本情報
創業:安永5年(1776年) 住所:徳島県板野郡上板町泉谷字原中筋12-1
製糖所という名称のとおり、菓子屋というより和三盆糖を製造する工場がメインとなります。そのため扱うお菓子は和三盆糖を使ったものだけで、今回紹介した霰糖以外には、木型に押し固めて成形した干菓子と和三盆糖をそのままを袋詰めした和三盆粉の2種類のみです。和三盆糖の粉は調味料として料理に利用するだけではなく、コーヒーや紅茶に入れても美味しく味わうことができます。
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